ワンライン

juiceのホールコンに行ってきた。

かりんちゃんのソロライブに行って、久しぶりにここに書いて、Twitterじゃなくて、どこかに感じたことをまとめて書いておくとよいなぁと思って、また書いておく。

 

とても、楽しかった。

こんなに楽しいものだったんだなぁ、juiceのライブってね。

忘れていたね。

再び、思い出させてくれて、ありがとう。

うえむーがいるから、行く、という要素は自分の中で強いので、本当にうえむーには感謝です。

 

うえむーがMCで、ワンラインは、今の目の前のメンバーの横一列、これまでの過去からつながるライン、ふたつの意味が…というような話をしていた。

今のjuiceを見て、昔のjuiceを思い出すこと、懐かしむこと、恋しく思うことは、決して悪いことではないんじゃないか、と思った。

(今のjuiceをよく知らないし、知ろうという努力をあまりしていないので、後ろめたさはある)

 

今のjuiceを見ているうちに、あの頃のメンバーたちの姿が浮かび、あの頃に比べて、歌や表情がさらに変化し深みを増したメンバーを見つけて喜び、グループ内での立ち位置の変化に感慨を覚え、変わらずに歌い続けている姿が嬉しく、このグループで歌い続けてくれていることに感謝した。

あの頃見た、たくさんのライブが、走馬灯のように浮かんだりもした。

清水のホールコンとか、高松のライブハウスとか、武道館とか。

 

久しぶりにきた人間には久しぶりにきた人間の、楽しみ方があるんだなぁと思った。

 

juiceの人生讃歌楽曲(キーポンとかキーポンとか)が胸に沁みた。

キーポンとか如雨露とかゴールとか、ああいう歌を聞いて、私はjuiceに励まされ、泣いて歩いた夜道があるので、香水やひといきとはまた違う、オタクに寄り添い、明るい方へと引っ張りあげる、juiceの楽曲のもうひとつの魅力を感じる。

 

歌詞に、メロディに、メンバーの歌声が重なることで、あの頃、juiceの歌は、ものすごい力で、私を慰め、背中を押した。

 

そして、天井の高い空間で歌われる、キーポンやマジックオブラブの素晴らしさ。

デカい会場がよく似合うんだわ。

それから、2015-16くらいのライブハウスを思い出させる、懐かしい曲の数々。

 

なにより、うえむーが、めちゃくちゃ素敵でさぁ。

これからのjuiceの植村あかりを、見たかったなぁと思わせる、良さだった。

香水の、切なさや幸の薄さを、表情と歌声で、こんなに上手に表現できるひとが、グループアイドルをやめちまうんだよぉ。

惜しむ、惜しむ、惜しむ、ものすごく惜しんで、うえむーの卒業を見送ります。

juiceのうえむーとお別れしたくなくなってしまったよ。

 

ライブを見終えて、このツアーにたくさん行けないことをとても残念に思った。

仕事のため、うえむーと一緒に(?)沖縄に行けないことを、とても残念に思った。

juiceの沖縄でのライブハウス公演は、「juiceのライブ」と言われてパッと浮かんでくる中に必ず入っている。とても楽しいライブだった。

juiceとの楽しい思い出がある沖縄で、また、もう一度、うえむーがパフォーマンスしているところを見たかったなぁ。

武道館も仕事で行けそうにない。

どっちも、日程を見て、ハナから諦めていたけれど、今日のライブを見て、残念さが増した。

武道館は少しあがいてみようかなという気持ちにさせてくれた。

そういう気持ちにさせてくれて、ありがとう。

 

思えば、去年のホールコンも、昔のオタクが久しぶりに来ることを歓迎するかのようなセトリだった。

楽しくて当日券を買ったのだった、今日みたいに。

うえむーのおかげで、あの頃のjuiceを、懐かしく、切なく、恋しく、楽しく思い出すことができて、よかった。

トリマーさんになりたいと言って、末っ子感バリバリだったうえむーが、オリメンの中で最後までいてくれるとは、こんなに素敵な歌手になるとは。

うえむー、続けてくれてありがとう。

 

うえむーは、しあわせのかたまりのようなひとだと思う。

しあわせがやってくるとかではなくて、うえむー自身がしあわせの源のような、そういう雰囲気を持っている。

しあわせそのもののひと。

 

うえむーの卒業後の人生にも、幸多からんことを。