納得できなくなった話

私はみやもとかりんちゃんが好きで、みやもとかりんちゃんを追いかけて日々を過ごしているけれど、時々、アンジュルムのライブに行く。  

アンジュルムのライブに来ると、どうしても、あやちょを目で追ってしまう。 

 

あやちょを見るときの感情の動き、惚れ惚れ、という言葉が1番近い。

 

惚れ惚れして、気持ちいい、という感覚。

 

あやちょ。

髪の毛の先までかっこいい。

手足が長くて小さなお顔。

涼やかで挑発的な表情。

流し目。

骨ばった骨格も。

 

ひっつめポニーテール、スタイルとしてあんなにかっこいいのに、数曲で解いてしまうのもかっこいい。

 

歩き方も。

お辞儀の仕方も。

しゃがみ方も。

立っているだけで、ステージに現れるだけで、惚れ惚れする。

何をしても様になる。

 

きっとここで彼女は流し目で煽るぞ!

ここでかっこいい和田彩花さんを決めないで誰がゴールを決めるの!

と思うところで決めてくれる。

最高に気分がいい。

 

メンバーと見つめ合い、大きく笑う笑顔にも、惚れ惚れ。

 

最後のMCまでかっこいい。

言ってることがかっこいい。

話し方がかっこいい。

息をつかずに一気に話す。

ほんとにかっこいい。

最後までどこまでもかっこいい。

 

でも、そのあやちょがアンジュルムを辞めるという。

 

初めてその報に接して以来、なんでなの?と思いつつ、彼女の発言を何度か見聞きするうちに、なんとなく卒業を受け止められたような気がしていた。

少なくとも、頭の中では、納得のいくひとつの筋が通った気がしていた。

ブログやラジオ、雑誌を通してのあやちょの発言を見ていると、あやちょは、ハロプロからもっとずっと先の方へ、遠くの方へ、行ってしまったように思えた。

あやちょは、ここにはもういられないんだ、というようなことを感じた。

そして、自分の卒業をもって、現体制を維持できる状況を作り、グループとしてより高みへ、極みへ、行くんだろう、と、私は勝手に思い込んだ。

今のハロプロで、メンバーが変わることなく活動することの難しさを、自分の身を呈して、乗り越えてみせるのだろう、と。

 

彼女の考えてることの片鱗に触れるうち、卒業は至極当然の流れだと思えるほど、あやちょの言葉に説得力があった。

 

そして、昨日、ステージに立つあやちょを見た。

私は、彼女が卒業することについて、まったく納得できなかった。

彼女の卒業を理解できなくなった。

あやちょが卒業していく、いみがわからない。わけがわからない。

 

ステージ上のあやちょは、あまりにもかっこよすぎたし、かわいくて、可憐で、目立っていて、輝いていた。

バリバリの現役で、まだまだできるよ、と思った。

誰にも負けてないし、唯一無二だし。

ほんとにかっこよかった。

 

この人が来夏にはアンジュルムにいない。

こんなにかっこよくアンジュルムのステージで生き生きと躍動する人が、アンジュルムでなくなる。

わけがわからなくて、叫びたくなった。

駄々をこねたくなった。

 

今まで何度か卒業を決めた人のステージを見に行ったけど、ステージを見て、卒業することに納得することが多かった。

当人が、なんとなくスッキリとした表情をしているように見えて、卒業を受け入れざるを得ない、認めざるを得ないと、ステージ上の本人の姿に、こちらのモヤモヤがねじ伏せられることが多かった。

 

なのに。

あやちょは違った。

あやちょがモヤモヤしてるように見えたとかそういうことではない。 

 

和田彩花アンジュルムハロプロを卒業していく意味合いは、そう言われたら、そうかもしれない。

卒業する理由も、あやちょが言葉にしていたのをちゃんと読んだ。

 

でも、わけがわからない。

いみがわからない。

あやちょがアンジュルムをやめていくことに、納得できなくなってしまった。

 

 

 

 

追伸

アンコール開けの、46億年らぶ、秒すぎ。

最も、電光石火を感じた瞬間。

リリイベを通して思ったこと

Juice=Juice、ニューシングル発売に伴うリリイベ週間が終わりを迎えました。(たぶん)ミニライブだけでなく、ラジオや雑誌にと、毎日、とても楽しかったです。(メンバーのみなさんはその分、相当お疲れかと思いますが。感謝します。)

この1週間は、普段よりも仕事やプライベートの予定が詰まってしまい、思いの外忙しく、そこに、リリイベに行きたい、という気持ちも加わり、まさに、目が回るような、心ここにあらずの慌ただしさでした。

その慌ただしさの中で、実際にリリイベに何度かお邪魔して、強く感じたのは、みやもとかりんちゃんの、元気そうな姿が見られることへの、とめどない喜び、嬉しさです。楽しそうに、元気そうに、伸びやかに、笑顔で、時に魂の抜けたような表情もしつつ、スベったりややウケたり、メンバーにかわいがられたりひかれたり、そういうかりんちゃんのさまざまな姿を、ステージで見ることのできる、しあわせを感じました。

今日、ラクーア行われた、ラストのミニライブにも、参加の予定ではなかったのに、急に思い立ち、身支度もそこそこにバタバタと電車に乗ったのは、みやもとかりんちゃんが今日も元気そうにステージに立ってるんだろう、と思うと、いてもたってもいられなくなったからです。走れ、自転車、走れ、電車、走れ、景色。なにかに突き動かされるように、気持ちが急くのを感じました。

『あ、これは、恋かもしれない』などと戯けたことを思いつつ、突然思い立ってすごいスピードで支度をし、苦手な日差しと暑さの中、優先エリア入場券が手に入るか不確定なまま、電車に乗って都内まで出てきて、これまた苦手な人混みにズンズン入っていくようになった自分自身の変化に、当惑しました。

現場にいく回数が増え始めた1年前からも大きく変わったけれど、もっと前、初めてJuice=Juiceの現場に行った3年前の初夏の自分からは、もっと大きく、信じられないほどに大きく、変わっています。生活も、考え方も、好みも、いろいろなことが、Juice=Juiceに出会って、かりんちゃんに出会って変わっています。それが、いい方向への変化なのかは、わかりませんが。変わっている、と感じていることだけは確かです。

それは、女性アイドルに無関心だった、ある人間が、女性アイドルに、Juice=Juiceに、みやもとかりんちゃんに、ハマっていく過程でもあります。たぶん。私にとっては、それって、とてもおもしろい。3年前からセルフドキュメンタリーを撮っていたら、継続して自分にカメラを向けていたら、あぁ、とてもおもしろいことになっていたのでは?と思います。人生で、ここまで、急に、有無を言わさず、自分が変わっていく…と感じながら、それがそこまで嫌な変化ではなくて、そうやって暮らすことって、あんまりないような気がするからです。アイドルにハマっていく姿を描いたドキュメンタリー、見てみたいです。(『堕ちる』という映画のことを今久々に思い出しました。)

 

だけど、同時に、こうも感じています。変わったね、と友人に指摘されたり、変わったなぁと自分自身感じてはいるけれど、本当のところは、何にも変わっていないんだろうな、と。みやもとかりんちゃんが、Juice=Juiceが、目の前からいなくなった瞬間(それは卒業や引退だけでなく、私が関心をなくしてしまうことも含む)、私の生活はたぶん、元どおり。それに伴い、日々考えることや見える景色も、行動範囲も、いろんなことが元どおり。

もし、そんな日が来ても、楽しかった日々は、「今」を生きる支えになるでしょうから、決して無駄ではなかろう、と思うけど。無駄だと思っても、Juice=Juiceに向かって走り出してしまったこの感じは、止められるものではないけど。でも、すべてが終わり、何も変わってなかったと、まざまざ、自分の姿を見てしまうのは、とてもつらかろう。

うーん、これから、どうなっていくのか、私はどこまでいくのか、いつまで変わってしまったぁと思い続けるのか、いつ何にも変わってなかったと心底思うのか、楽しみでもあります。不安だけど。

 

この前の武道館の話

11月20日(月)の武道館公演を見てきました。

月曜の夜の寝る間際、感じたことをバーッと書き出して、言葉にしたい欲求は、おしまい。武道館の余韻に浸りたいのか、なんなのか、ハロプロに触れねば!と感じることもなく、数日を過ごしました。

でも、頭の中は、武道館で感じたことが、ずっとぐるぐるしていました。じうすのことを、ひとりで考える時間は、頭の中がうるさくなくて、おだやかで、とても静かでした。長い時間が過ぎたように感じるけど、まだ4日しか経ってないんですね。

家族に感想を聞かれて、少し話したら、まとめたくなりました。じうすの曲もたくさん聴きたくなりました。数日ぶりに、ツイッターを開いたら、じうすでいっぱいで、しあわせな気持ちです。

やっとこさ、日常に、戻ってきた感じです。

(武道館の感想をまとめてみたら、7000字ほどになりました。めんどくさいのでこのままで。前半はライブの感想、後半はなぜか8割方金澤さんの話になりました。)

 

では、なんとなく、セトリを見ます。

O.A1 就活センセーション/つばきファクトリー
O.A2 初恋サンライズつばきファクトリー
M01 Wonderful World (English Ver.)
M02 生まれたてのBaby Love
M03 イジワルしないで 抱きしめてよ
M04 Fiesta! Fiesta!
M05 TOKYOグライダー
M06 CHOICE & CHANCE
M07 地団駄ダンス
M08 The Power
M09 背伸び
M10 Never Never Surrender
M11 Ça va ? Ça va ?
M12 愛・愛・傘
M13 GIRLS BE AMBITIOUS 2017
M14 銀色のテレパシー
M15 カラダだけが大人になったんじゃない
M16 裸の裸の裸のKISS
M17 私が言う前に抱きしめなきゃね
M18 伊達じゃないよ うちの人生は
M19 Magic of Love (J=J 2015Ver.)
M20 この世界は捨てたもんじゃない
EN01 KEEP ON 上昇志向!!
EN02 Goal〜明日はあっちだよ〜
EN03 ロマンスの途中

https://www.barks.jp/news/?id=1000149128

おお、いろいろと思い出す。

当日、遅刻して会場に着きました。

会場外でWW、廊下で生まれたて~を聞きながらそのまま着席した記憶があるのですが、15分か20分ほど遅れたはずで、それにしては2曲目から聞けている…ので、記憶があいまいです。TOKYOグライダーの時には、席にいたのは、確かです。自信がある。

セトリを見ると、改めて、いろんな感想を思い出します。

 

地団駄ダンスを歌い出したときの、『え…これ歌うの、わざわざ、7人で、これを歌うの…』という戸惑い。しかし、地団駄のにぎやかさに『ふぁ…ちょいちゃん…わたくしの、ちょいちゃん…ふぇ…』という気持ちがのみこまれて、徐々に楽しくなっていきました。地団駄、好きです。

 

からの、ダンスコーナー履物のせいなのか、そういうダンスなのか、重さやもたつきが目立つダンスで、ちょっと驚きました。あんまり好みではなかったかな。ダンス自体は、ダンス部の延長っぽい、と思ったけど、どうだろ。

 

そして、そうです、The Power私、この曲を知らなかったのです。かの、バリエステは、これですよね、たぶん。

新曲ではなさそうなことは、まわりのおたくの盛り上がりとコールの揃い具合で分かりました。曲調が「めっちゃ鞘師!!」で、これは、鞘師さんがいた頃に、つんくさんがどこかのグループに作った曲だ、絶対そうだ、と思った。たぶん、どこかで耳にしたことはあるんだと思う。なじむ。だけど、なんで、他のグループの歌を今日歌ってるの?!と、思いました。ここ、武道館だよ、単独の一夜限りの公演だよ、カバー曲、初披露してんじゃねぇよ、と思った。(初披露ではないのかもしれません。)

なんとなく、なにかしらの集大成っぽい場で、カバーと分かるカバー歌うのか…。

で、なんか、ちょっと、イライラしてしまった。

衣装の大人セクシーっぽい色合いと(たしか、赤と黒で肩のあたりがヒラヒラしてたような…スクリーンの映像の色かな…ちがうかも…おぼろげ)、歌詞の内容と、新体制のことがグルグルミックスして、漠然と偉い人にイライラして、そしたら、遅刻して最初から見られなかったことが急に悔しくなり職場くそだなとイライラして、もはやどっちのイライラが先に発生したイライラかわからないし、イライラに拍車がかかる。

歌詞は、おねえさま、おれさま的な上から目線の語尾が、チョコチョコ出てくるのが、気になってしまって、今のじうすが歌ったら、それ、おとなっぽさの誇張なんじゃないのなどと、偉そうなことを思った。

新体制になって、グループの年齢・雰囲気・全体の印象・シルエット、いろんなものが変わる中で、カバーするのがこういう雰囲気の曲なんだ、はあーそうですか、そうですか、大人の女性、セクシーできれいなグループ、はあーそうですか、その路線を強化するのかな、はあーはーーーーーー変化はどこへ?!?!みたいな。

5人のじうす、すでに、おとなのおねえさん、上からの圧を感じる集団だったと私は感じてて、それは、5人自身の成長や変化で、わりと自然にそうまとまっていったと思い込んでるんですが。

で、メンバーの増員って、一度、それを壊すというか、振り出しに戻すような、そういう大きな変化だと感じていて。長いこと固定メンバーでやってきて出来上がった今なのだから。グループの何かを変えたかったわけではないのか、事務所?

自然とたどりついたおとなセクシーさの一面だったのに、体制変えてまで、おとなセクシーみたいな路線をしいてあげて、あてはめ、その枠に育てようというのか、メンバー増えたのに、変わったのに、くそぉ、アレコレ…アレコレ的可能性もあるじゃん、知らないけど、いろんな可能性、ちらつかせなさいよね、事務所、よくわかんないけど。

おお、新体制の指導部よ、お前が言いたいことはそれかよ、ぅおい、幹部らよ、わしはのぉ、うぬらへの、あの時の怒りを決して忘れんからのぉ、みたいな、妄想がヒートアップしてましたね、増幅。

多分疲れていたのです、九段下の駅から走ったし。

 

ここからは時々、かりんちゃんに、ぷはぁー最高!ってなったりしながらも、あいあいがさ・がるびーらへんは、聞こえてくる音楽が、あたりまえなんだけど、なんだかもう、全然違くて、音楽がいい方向に変化してるともちょっとあの時は思えなくて、『はー、これはなんか、もう、いいかなぁ、もう、じうすやはろぷろは、いいのかもしれない、もう、わたしは、うう』という気持ちになりました。乾いた。

武道館という大きな会場のステージに、7人で立つじうすが、見知らぬアイドルに見えて、はろぷろじゃなくて、KPOPのアイドルのコンサートに来たような、場違いな場に来たというか、なんか違うとこに来ちゃった、という、そういう感覚が襲ってくる瞬間が、中盤まで、何回かあった。

 

で、銀色のテレパシーでも『もういいかなぁ』と思うんだけど、これが、不思議なことに、それまでの、もう、いいのかなぁとは、ちょっと違かかった。

銀テレのかりんちゃんの歌声は、それこそ、天使だった。

聞いてると、なんか、今までとは違う、諦念、みたいなのが、湧いてくる。今までは、かなしさとか、さみしさゆえの、失望に満ち満ちての、投げやりで、トボトボを肩を落として去ってゆく後ろ姿をイメージする、もういいかなぁ。でも、銀テレの時は、そうじゃなくて、光の見える、十分に満ち足りたので、もういいかな、という感情。あたたかい毛布に全身包まれるような、もういいかなぁ。

かりんちゃんに諭されて、たどりついた『もういいかなぁ』

こだわらなくていいんじゃないかな、らくになろう、てばなそう、じぶんをかいほうしてやろう、こだわってしばりあげてるものをときはなとう、いろんなもの、ほうってらくになろう、と思った。自分のことを、自分自身の、今と人生について、考えたり、行動したり、直接に費やす時間をもっと増やそう、と思った。

もっとまじめに自分のことを考えなさいね、と、じうすに諭されてるような。手を引かれ、あちらへ行きなさい、と、導かれたような。背中を押されたような。嫌味でも皮肉でもなく、もうこだわるのやめよう、時々、武道館とかを見に行けたら、それでいい、と思った。7人のじうすを見れば見るほど、慣れれば慣れるほど、確固たるものになる気がした。

この、優しい解放みたいなの、黄金のまどろみのような救い、かりんちゃんの歌声の救いだなぁ、と思った。

 

これで、雑念がなくなったのか、カラダだけが大人になったんじゃない終盤か、裸の裸の裸のKISSあたりから、ぶちあがりはじめた気がします。クリティカルヒットの連続。今、まさに、ここぞ、というときに、そう!あなたの歌声!!大正解!!!みたいなのが続いて、ぐるぐるしてた感情は、盛り上がりにすべて飲み込まれて、音楽とオタクの中に埋もれた。

 

伊達じゃないようちの人生はこれは、ゆかとも。

サブステでしたよね、手を合わせるゆかともを双眼鏡で見ていました。なんなのあれは。

呼吸を合わせるように見詰め合ってる、ゆかとも。お互いはにかんでる、ゆかとも。金澤さんの顔を覗きこむようにじっとみるゆかちゃん。照れたように由加ちゃんの顔を見て、時々、視線を外す金澤さん。ゆかちゃんは視線外さないの、めっちゃ、ゆかとも。(朝ドラの幼馴染の新婚さんの初夜では?と思った。)

 

この世界は捨てたもんじゃないひぇーーーーーーーーー。Magic of Loveで終わりじゃなかった。大団円の、その先が、あった。冒頭の歌声のリレーほんと神。ライブ見ながら、ほんとに、この世界は捨てたもんじゃないなぁと思いました。じうすに出会えて、こうしてライブ見れてる今、この世界、捨てたもんじゃない。しあわせだった。

 

そのほかのこまごました感想。

まず、怖かった先輩の金澤さん

第一印象、怖かった先輩に指名された時の、突然の指名に慌てまくる金澤さんを拝見した時の、私の喜びようったらなかったです。メンバーの不意打ちに、あわてたり、照れる金澤さん、ほんっとに、好きです。
この、ひと場面だけで、たくさんの背景を想像して、おたくはほっこりできるじゃないですか。こういうこと聞ける関係で、誰かひとりを指名できる関係で、しかも金澤さんなら指名しても大丈夫的な親しみをるるちゃんは感じてるかもなわけで、あぁやっぱり金澤さん人見知りだからねうふふとおたくは思ってニコニコになるわけで!!
あの時、濁さずに、誰かひとりを指名したるるちゃん、えらい、素晴らしい。るるちゃん、さゆきも、かわいい金澤さんを、ありがとうございました。

 

次に、金澤さんの後ろ姿

どこの曲だったか、MCだったか、ウェーブのときかな?金澤さんがサブステにいるときに、後ろ姿を双眼鏡で見たんですけど、え、やばくない?セクシーすぎる。
髪の艶っぽさとボリューム、あのボリュームのある髪がきれいな形にまとまってるのがまず素晴らしい、美しい。そして、髪を切った金澤さんの、あの、今の、襟足の潔さ、ほれぼれする潔さ。その襟足、からの、うなじ、からの、背中、そして上腕、はぁ、この流れるような美しさといったら。筋肉と柔らかさが絶妙な良さで同居している。ほれぼれした。サブステありがとうだった。
ハロプロ後ろ姿大賞2017ライブ部門があるならば、武道館の、サブステの、あの金澤さんに投票したいです。

 

そして、ともかりん

どこだったか、ともかりんが、顔を限界まで近づける戯れをしていた。たぶん、カメラに抜かれていた。声が出た。めずらしく、金澤さんが、佳林ちゃんに付き合って、しかめっつらで、顔をそらした方が負けチキンレースをしているように見えたけど、真相を知るために、絶対、ソロアングル買うんだ。

そう、オレンジのストライプのお衣裳、佳林ちゃんにわずかな少年みを与えていて、めっかわだった。かりんちゃん、終始、かわいかったですね。どこまでも透明な肌色だった。透き通っていた。

 

はい。

セトリを見ながら、ライブの感想をまとめてみたのですが、金澤さんが多めですね、すでに。でもこれだけじゃないんですね、金澤さん。

あの日、私は、最後の最後で、金澤さんのMCに、心をすべて持って行かれました。新メンバー加入と聞いてちょっぴり嫌だった、でも今は…と話した金澤さん。話をする金澤さんを見ながら、なんて儚いんだ、と思った。

この方が放つ、儚さのために、私は、じうすを離れられない、とさえ思いました。

かりんちゃんの銀色のテレパシーの歌声の救いで、悟りを開いて安寧を得たような心持ちの私でしたが、一気にじうすに引き戻されました。俗世にものすごいはやさで舞い戻った。

 

私が、金澤さんの儚さを、勝手に、かなり勝手に、自己都合で、感じるようになったのが、いつ頃のことなのか、よく覚えていませんが、前回の武道館の時も感じていました。金澤さんの中で、区切りがついてしまったでは?と、ことあるごとに、たぶん、いつも、金澤さんが真面目な顔をすると、思ってる気がします。なんですかね、金澤さん見てると、未練のなさとか、達観とか、そういうことを感じます。ブッダ

 

ここで、かりんちゃんのMCを引き合いに出します。「7人でまた武道館に…」「もし次があれば、ゆか、ともこ…と年齢順にコールして…」というかりんちゃんの言葉。

あぁ頑固だ、かたくな。俗世。みやもとかりんちゃん、好き、ってなりますね。このMC、みやもとかりんちゃんが詰まってて、最高でしたよね。はぁーガンコちゃんだぁ、このひとが、私が好きになったひとです、って感じ、まじで。かりんちゃんの「7人」「現メンバー」へのこだわりは、そのまま、5人へのこだわりだったんだろうな、と思いました。ひとつのグループとして、限られた時間で、何かを究めたい、という。

次も必ずこのメンバーでという誰かへの宣戦布告のようなはっきりとした発言は、じうすのファンとして、単純に嬉しいものでした。でも、金澤さんの儚さを思い出すとき、かりんちゃんのこの言葉は、金澤さんはじめ、他のメンバーにはどう聞こえたのだろう、と思いました。やめないでね、という念押しに、聞こえたりしたのだろうか、と。

心はもう決まっていて、ある程度、先を覚悟しているメンバーと、それを察した佳林ちゃんがいやだいやだと、ただをこねてる様をちょっと思い描いてみたり。もう、みんながみんな、同じ気持ちで、同じ思いの強さで、同じ方向を見ているわけではないのかも知れないなぁ、と、思ったり。がむしゃらに、このメンバーと共に、さらなる高みへ、という気持ちに、一区切りついた人もいるのかもしれない、などと考えたりしました。

 

MCでの、金澤さんの「これからも応援よろしくお願いします」という挨拶は、定型文なのに、新体制で離れていくファンを、離れていくその瞬間を、その目で直接、見たかのような、切実さを感じました。これも、最近、毎度感じている儚さの幻ですね。はあ、もう全部儚い。

金澤さん自身も、突然の新体制発表で、心が離れかけたり、折れかけたりしたからこその、あの切実さなんじゃないかと、邪推してしまいます。金澤さんにとって、この増員で、得たものばかりではないんだろう、失ったと感じるものも、あるにはあったろう、と思った武道館の帰り道でした。(バースデーイベで「想いあふれて」を聞いた時を思い出した。)

金澤さんが、オタクに、オブラートに包みつつも、できる限りご自身の気持ちに、率直であられたことは、新体制になかなかついていけないでいるおたくを慰めたでしょう。金澤さんの発した正直な言葉は、そういう人に静かに寄り添い、新体制にかろうじてついていったり、背中を向けずに立ち止まったりする、折々の支えになったような気がします。

 

それにしても、金澤さんから感じた「儚さ」は、ライブを見て抱いたすべての感情を覆い尽くす勢いでした。

金澤さんのあの儚さは、なんだろうか。

正直さ、率直さ、まじめさから生まれる、もろさ、あぶなげな雰囲気、そういうのが、人を引き付けて離さなくする。普段、金澤さんが、よく見せてくれる、適当さや雑さ、おおらかさを見た日には、この前感じた儚さは、全部、私が見ている幻、儚さを感じさせる金澤さんさえも、夢だったのかしらと思わせる。

真面目と適当の絶妙な塩梅が、金澤さんが、人を、というか、私を惹きつけてやまない理由、金澤さんの魅力のひとつだなあと思います。

 

こんなことを感じたり感じなかったりしながら、アンコールの曲を聞きました。アンコールで歌うメンバーを見ながら、歌声を聞きながら、ほんの時々見られれば、見守って行ければ、なんて、そんなことはやっぱり無理、じうすに惚れたが負け、ついていくしかない、と思いました。

 

さて、武道館の感想として、感じたすべてを書けていない物足りなさはあるものの、ひとまず、これでおしまいにします。(書いてみて、ライブへの直接的な感想がほぼなくて、私、ほんとに、ちゃんとライブ見てたのかな、と思った。)

 

ただ、あれなんです、読み返すと、佳林ちゃんへの言及が少ないなぁと思うんだけど、いくつか言い訳があります。

一、武道館は遠景を楽しむ会場かなと思って、あまり双眼鏡は使わなかったので、視線がかりんちゃんだけを追うという場面が少なかったこと。

二、佳林ちゃんの髪の毛が伸び、メンバーが増えて、視力が悪い私には、瞬時に佳林ちゃんがどこにいるのか、ちょっと、わからなくなってしまって…あれかな、今飛び出してきた子かな、とみてたら、違うメンバーだった、ということが何回かあった…つら…。

三、あとね、席が席だったんだ。かりんちゃんのダンスは、正面から見てこそなんだ。動いてるとこから静止するときのピタッと止まる気持ち良さを味わうには、正面に陣取ることがとても大事、とわかった。関係者席、すごい、いい席、いいな…ってめっちゃ思った。

四、そして、これは声を大にして言いたいのだけど、かりんちゃんはいつでも最高の極みの琴線に触れてくるんです。それを当たり前に享受してしまっていて、いつも、ふぉー!!!!!とぶちあがるのだけど、それを人に伝わる言葉にするのが、めっちゃ難しいんです。ふぉー!!!!!と思い過ぎてて、どこでふぉー!!と思ったかを忘れてしまうのです。客観的に冷静に見るのが難しいというかなんというか。

 

おしまい。

夢見るテレビジョンの感想

劇中音楽が素晴らしく私の好み。これに尽きる。

劇中音楽を聞きに来るだけでも、価値がある、と言いたい。音楽の素晴らしさを、この舞台の感想のすべてとしてもいい、それくらいの言葉で褒めたい。

どストライクだった。

 

私は、毎日、juiceのことを考えてるので、ラストの華やかで楽しい大合唱見ながら、juiceのことを思い出し、アンジュルムのオタクがうらやましくなった。自分のどストライクの歌を、自分の大好きなメンバーが歌うのだ、と想像したら、なんとしあわせなことか。

ハロプロの舞台見るたび、思ってるけど、そろそろ、juiceの舞台が見てみたい。

-----

-----
総じて、かみこ。

 

特に前半〜中盤は、かみこの印象が強かった、気がする。とてもいい。

歌唱シーンが特に印象に残った。

歌があんなに伸びやかに歌える人とは知らなかった。ソロ歌唱、こんなに、揺るぎないとは。

歌の良さもさることながら、歌唱シーンの仕草がいちいち美しい。上半身、特に肩から腕、指先にかけての動かし方、しなやかで優雅。かみこが、こんなにしなやかに身体を動かす人とも知らなかった。

知らないことだらけ。かみこの歌唱シーンに驚かされた。嬉しい驚き。

-----
役を演じてるからか、武道館やホールコンで見かけるかみことは違う人に見える。

今日初めて見た、新人の舞台女優に見える。

だけど、確かに、見かけたことのある人。なのに、まったく違う人。

-----
あぁ、私は、今日、かみこに、やっと、出会えました、という、全くうまく言葉にできない気持ちがバーっと襲ってくる。

「いま、ふたたびの奈良へ。」という感じ。

知っていたつもりの人に、確かに知っていると思ってた人なのに、今この瞬間に初めて出会って、しかも初めて出会ったその瞬間に、見事に、鮮やかに、心奪われた、というような、そんな感じの、かみことの、ふたたびの出会い。まったくうまく表現できない。

-----
舞台セットのかわいさと、かみこの歌と、音楽の素晴らしさで、幕が開いてからの、これから始まる世界への、ワクワク感がすごい。まだ始まったばかりなのに、ああ、幕が開いてしまった、惜しい、とさえ思う。

-----
-----
そうそう、そうこなくちゃ、ここで、そう、ここだぞ、ふなき!という、さすがふなっき、やっぱりふなっき。

りなぷーの、間。間の天才。

りかこの絶妙なLIFE!っぽさ。

高瀬さんのOSHIRI。立ち姿の美しさ。

-----
むろたんの動きと切替とほんのり微かなタカラヅカ娘役っぽさ。優美と軽さといつかの工藤静香を兼ねそなえてるの、素晴らしいと思う。

いろんな要素、どれもむろたんの本質と感じさせる。

優美さも動きのコミカルさも演じてるのではない、というか、演じてる感が薄いというか、いや確かに演じてるんだろうけども。むろたんがもともとタンスに蓄えてるものをちょろっと見せてくれてる感じ。余力を十分に感じる。

むしろ逆に普段から、自分を演じてるのでは?と思ってしまう。高田純次的。

-----
劇評で見かける「出色」という言葉は、まさにこのことを言うのかも!と思ったのは、かわむらあやのちゃんの、みつる。

かわむらあやのちゃん、出色です。いやぁ、みなさん、見てください。

(公演中、一箇所、うるうる泣きそうになったところがあったのだけど、けんいちろうさんとみつるさんのシーンだった気がする、たぶん。)

-----
かっさー、よかった。

なんとなく80年代のアイドルを彷彿とさせる、ゆるかわ。かわいかった。演技が特別うまい、というわけではないと思うんだけど、舞台の空気に溶け込んで馴染んで、うまいなあ、と思っちゃう。

-----
なっきぃの、演じる役の、ちょっと離れた遠くからの、世間や組織のしがらみから少し自由な、そういう立場からの、優しいまなざしが、まさに、ハロプロOGとしての、今のなっきぃと、現役ハロメンとの立ち位置でもあり、なんだか、とてもね、よかった。
ああいう風に、これからもハロプロのこと見守ってほしいなぁ、と思った。

-----
まあさもなっきぃも、ハロメンばかりのステージに出てくると、安心感がすごい。
場慣れしているというか、緊張してるのかも知れないけど、緊張してるかもな、とこちらが思うことさえない、どっしりさ、安定。

-----
そして、やはり、あやちょ。

あやちょの歩き方。冷たさ。冷たい悪が、華を持ち、艶っぽい舞台、めっちゃ好き。(そこまで悪役、というのではないけれども)

特に、冒頭、あやちょの登場シーンは、ライオンキングのスカーやリトルマーメイドのアースラ、湯婆婆に並ぶ、ワクワクする悪役?ヒール?が出てきたぞ、という高揚感。

音楽もいかにもミュージカルのひとくせある役の登場って感じの曲で、ライオンキングが始まったかのような高鳴りがあります。

もう一つ、私は歌舞伎が好きなので、大好きな大幹部の役者がやっとこさ舞台上に姿を見せたような、あの時と同じ気持ち。客席のみんなが待ってた人が、やっと出てきた、って感じがした。

来たーーーーー!!真打あらわる!!!感がすごい。

あやちょの歌声が聞こえて、スクリーンにあやちょの影が写った時の、「待ってました!」「たっぷり!」「日本一!」「あやちょ!」という大向こうがかかりそうな、高揚感。万雷の拍手で迎えたくなる。

出だけで喝采の拍手を浴びる。あやちょの出を見ただけで、満足じゃ、よし帰ろう、となりそうな、そういうあやちょの登場シーンでした。

かみこに対置されたあやちょ、それも悪役?として、大きな役者じゃないといけない。
大きなあやちょ。はぁ、あやちょ、好き。

あやちょだからこそ、あの役が生まれて、あの役に厚みが出る。これから始まる舞台でどんな華が咲くのか、ワクワク。

という、冒頭の、素晴らしきあやちょ。

-----

-----

で、ここでは、特に触れなかったメンバーも含めて、適材適所、そのキャラクターを演じるハロメンは、あなたしかいなかったね、という気持ちで見ていた。

演出の方が、公式サイトに、アンジュルムにしかできない、というようなことを書いていましたが、まったくその通りで、あてがきなんですかね?

アンジュルムにしかできない、というか、あやちょのいる今のアンジュルムだからこそ、ものになるお芝居、と感じた。

-----

-----

他の方の感想をちらっと読ませていただいたりして、もう少し、アンジュルムが演じている、ということを、意識して見てみようかな、と思っている。

なにか、感じ方、変るのかな、楽しみ。

演じ方を少しずつ変えるメンバーもいるだろうし、とにかく、また見に行けるのが、今は、楽しみ。

可憐でしなやかな、かみこに、また会えることも楽しみです。

----- 

-----

----- 

最後に劇中の音楽を、もう一度、たたえておきたい。

男と女の連呼やらなんやらで、途中、話の筋や登場人物の言動にイラッとし始めてしまう。(このイラッとした理由については、言葉にするのが難し過ぎたのでとりあえず放置。)

でも、しょっちゅう、歌を歌ってくれるので、劇中音楽に気持ちが向いて、都度、イラッはおさまる。まっこと、すばらしい、音楽。

ただ、モヤモヤは残り、舞台は、ラスト、大団円を迎える。しかも、大団円、デレあやちょという、ものすごいものが、われわれに下賜される。

『…なんだ最後の大団円…なんだそれは…最後の最後でデレあやちょを唐突に入れてきて…卑怯だぞ…終わりよければすべてよしじゃないんだぞ!認めないぞ!わたしは認めない!強い気持ち!』ってなるところで、劇中歌が歌い上げられ、そんな強い気持ちは、どこかにすっ飛ぶ。

劇中音楽が、とことん、ひたすらに、気持ちいいのである。

なので、もういいかな、ってなる。

『おとなしく舞台に浮かれて帰るね。デレあやちょで、サブストーリー、わたしの頭の中で勝手に考えよう。楽しかったね。サントラ買って、チケットも買って、近いうちにまた来るね。』