私はみやもとかりんちゃんが好きで、みやもとかりんちゃんを追いかけて日々を過ごしているけれど、時々、アンジュルムのライブに行く。
アンジュルムのライブに来ると、どうしても、あやちょを目で追ってしまう。
あやちょを見るときの感情の動き、惚れ惚れ、という言葉が1番近い。
惚れ惚れして、気持ちいい、という感覚。
あやちょ。
髪の毛の先までかっこいい。
手足が長くて小さなお顔。
涼やかで挑発的な表情。
流し目。
骨ばった骨格も。
ひっつめポニーテール、スタイルとしてあんなにかっこいいのに、数曲で解いてしまうのもかっこいい。
歩き方も。
お辞儀の仕方も。
しゃがみ方も。
立っているだけで、ステージに現れるだけで、惚れ惚れする。
何をしても様になる。
きっとここで彼女は流し目で煽るぞ!
ここでかっこいい和田彩花さんを決めないで誰がゴールを決めるの!
と思うところで決めてくれる。
最高に気分がいい。
メンバーと見つめ合い、大きく笑う笑顔にも、惚れ惚れ。
最後のMCまでかっこいい。
言ってることがかっこいい。
話し方がかっこいい。
息をつかずに一気に話す。
ほんとにかっこいい。
最後までどこまでもかっこいい。
でも、そのあやちょがアンジュルムを辞めるという。
初めてその報に接して以来、なんでなの?と思いつつ、彼女の発言を何度か見聞きするうちに、なんとなく卒業を受け止められたような気がしていた。
少なくとも、頭の中では、納得のいくひとつの筋が通った気がしていた。
ブログやラジオ、雑誌を通してのあやちょの発言を見ていると、あやちょは、ハロプロからもっとずっと先の方へ、遠くの方へ、行ってしまったように思えた。
あやちょは、ここにはもういられないんだ、というようなことを感じた。
そして、自分の卒業をもって、現体制を維持できる状況を作り、グループとしてより高みへ、極みへ、行くんだろう、と、私は勝手に思い込んだ。
今のハロプロで、メンバーが変わることなく活動することの難しさを、自分の身を呈して、乗り越えてみせるのだろう、と。
彼女の考えてることの片鱗に触れるうち、卒業は至極当然の流れだと思えるほど、あやちょの言葉に説得力があった。
そして、昨日、ステージに立つあやちょを見た。
私は、彼女が卒業することについて、まったく納得できなかった。
彼女の卒業を理解できなくなった。
あやちょが卒業していく、いみがわからない。わけがわからない。
ステージ上のあやちょは、あまりにもかっこよすぎたし、かわいくて、可憐で、目立っていて、輝いていた。
バリバリの現役で、まだまだできるよ、と思った。
誰にも負けてないし、唯一無二だし。
ほんとにかっこよかった。
この人が来夏にはアンジュルムにいない。
こんなにかっこよくアンジュルムのステージで生き生きと躍動する人が、アンジュルムでなくなる。
わけがわからなくて、叫びたくなった。
駄々をこねたくなった。
今まで何度か卒業を決めた人のステージを見に行ったけど、ステージを見て、卒業することに納得することが多かった。
当人が、なんとなくスッキリとした表情をしているように見えて、卒業を受け入れざるを得ない、認めざるを得ないと、ステージ上の本人の姿に、こちらのモヤモヤがねじ伏せられることが多かった。
なのに。
あやちょは違った。
あやちょがモヤモヤしてるように見えたとかそういうことではない。
和田彩花がアンジュルムとハロプロを卒業していく意味合いは、そう言われたら、そうかもしれない。
卒業する理由も、あやちょが言葉にしていたのをちゃんと読んだ。
でも、わけがわからない。
いみがわからない。
あやちょがアンジュルムをやめていくことに、納得できなくなってしまった。
追伸
アンコール開けの、46億年らぶ、秒すぎ。
最も、電光石火を感じた瞬間。