リリイベを通して思ったこと

Juice=Juice、ニューシングル発売に伴うリリイベ週間が終わりを迎えました。(たぶん)ミニライブだけでなく、ラジオや雑誌にと、毎日、とても楽しかったです。(メンバーのみなさんはその分、相当お疲れかと思いますが。感謝します。)

この1週間は、普段よりも仕事やプライベートの予定が詰まってしまい、思いの外忙しく、そこに、リリイベに行きたい、という気持ちも加わり、まさに、目が回るような、心ここにあらずの慌ただしさでした。

その慌ただしさの中で、実際にリリイベに何度かお邪魔して、強く感じたのは、みやもとかりんちゃんの、元気そうな姿が見られることへの、とめどない喜び、嬉しさです。楽しそうに、元気そうに、伸びやかに、笑顔で、時に魂の抜けたような表情もしつつ、スベったりややウケたり、メンバーにかわいがられたりひかれたり、そういうかりんちゃんのさまざまな姿を、ステージで見ることのできる、しあわせを感じました。

今日、ラクーア行われた、ラストのミニライブにも、参加の予定ではなかったのに、急に思い立ち、身支度もそこそこにバタバタと電車に乗ったのは、みやもとかりんちゃんが今日も元気そうにステージに立ってるんだろう、と思うと、いてもたってもいられなくなったからです。走れ、自転車、走れ、電車、走れ、景色。なにかに突き動かされるように、気持ちが急くのを感じました。

『あ、これは、恋かもしれない』などと戯けたことを思いつつ、突然思い立ってすごいスピードで支度をし、苦手な日差しと暑さの中、優先エリア入場券が手に入るか不確定なまま、電車に乗って都内まで出てきて、これまた苦手な人混みにズンズン入っていくようになった自分自身の変化に、当惑しました。

現場にいく回数が増え始めた1年前からも大きく変わったけれど、もっと前、初めてJuice=Juiceの現場に行った3年前の初夏の自分からは、もっと大きく、信じられないほどに大きく、変わっています。生活も、考え方も、好みも、いろいろなことが、Juice=Juiceに出会って、かりんちゃんに出会って変わっています。それが、いい方向への変化なのかは、わかりませんが。変わっている、と感じていることだけは確かです。

それは、女性アイドルに無関心だった、ある人間が、女性アイドルに、Juice=Juiceに、みやもとかりんちゃんに、ハマっていく過程でもあります。たぶん。私にとっては、それって、とてもおもしろい。3年前からセルフドキュメンタリーを撮っていたら、継続して自分にカメラを向けていたら、あぁ、とてもおもしろいことになっていたのでは?と思います。人生で、ここまで、急に、有無を言わさず、自分が変わっていく…と感じながら、それがそこまで嫌な変化ではなくて、そうやって暮らすことって、あんまりないような気がするからです。アイドルにハマっていく姿を描いたドキュメンタリー、見てみたいです。(『堕ちる』という映画のことを今久々に思い出しました。)

 

だけど、同時に、こうも感じています。変わったね、と友人に指摘されたり、変わったなぁと自分自身感じてはいるけれど、本当のところは、何にも変わっていないんだろうな、と。みやもとかりんちゃんが、Juice=Juiceが、目の前からいなくなった瞬間(それは卒業や引退だけでなく、私が関心をなくしてしまうことも含む)、私の生活はたぶん、元どおり。それに伴い、日々考えることや見える景色も、行動範囲も、いろんなことが元どおり。

もし、そんな日が来ても、楽しかった日々は、「今」を生きる支えになるでしょうから、決して無駄ではなかろう、と思うけど。無駄だと思っても、Juice=Juiceに向かって走り出してしまったこの感じは、止められるものではないけど。でも、すべてが終わり、何も変わってなかったと、まざまざ、自分の姿を見てしまうのは、とてもつらかろう。

うーん、これから、どうなっていくのか、私はどこまでいくのか、いつまで変わってしまったぁと思い続けるのか、いつ何にも変わってなかったと心底思うのか、楽しみでもあります。不安だけど。