ゆかにゃの卒業発表によせて

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(12/23 追記)


日記と化してる。

刻一刻と気持ちは変化する。行ったり来たり、進んだり戻ったり。

昨日、寝る前、友人からLINEがきた。開くと、あやちょのブログのURLだった。
まだゆかにゃのブログも、Juice=Juiceメンバーのブログも読んでなかったのだけど、読んでみた。

つらかった。
あやちょに、見透かされたような気持ちになった。
あなたは強いひとだから、と、開き直ってみるしかなかった。
あやちょ自身が、年齢にまつわる問いかけやらに、ほとほと疲れ果て、あきれ果て、年齢を手放したんだな、と思った。
そうできるあやちょは強い。
かっこいい。
あぁ、あやちょだなぁと嬉しくなる。

私こそ、そう、私こそ、年齢に負けてる。負けてる、などと言って、つまりは年齢にこだわってる。年齢に決断を左右されている。しばられている。ただの数字をただの数字とも思えずにいるのは、他ならぬ、私。


誰のために泣いてるのか、誰のためにさみしくて、誰がかなしくて泣いてるのか。
ゆかにゃのためじゃない、私のために泣いてるのだ。
私のために、落ち込んで、さみしくなって、私のために怒ってる。

私がさみしい。
私が耐えられない。

情けない。

ゆかにゃのいないJuice=Juice。
私のために、そんなの嫌だと、私は泣いている。

ほんとにふと泣きそうになる。
街中を歩いてて。職場で仕事しながら。
奥歯を噛み締めてやり過ごす。

こんなにも変わっていくのか。
こんなにも。

どうしたらいいのかわからない。
Juice=Juiceから少し距離を置いて、他のことに没頭してみても、平穏な気持ちでいようと努めても、好転しない。

このままではずっと進めない。
ひとり、ゆかにゃの卒業を認めたくなくて、Juice=Juiceに触れずに生きていくことになる。
その間もJuice=Juiceは活動を続け、変化していく。
取り残されていく気がした。

久しぶりに、Juice=Juiceと検索して、メンバーのブログを開いた。
現実だった。
みんながみんなゆかにゃについて話していた。
そして、次の日のブログはもう違う話題になっていたりする。
確実に時が進んでいた。

わかるよ。
全部わかる。
私があまりにも突拍子もない、夢見がちなオタクということもわかってる。
たぶん、慣れるだろうし、現状としてこうなのだからその中で最適な答えを見つけて、正解にしていくしかないし。
わかるの、わかった上で、いろんな事情はわかったから、わかったから、全部わかったように仕方ないんだよと懇切丁寧説かれても、そんなんわかってるから。
そういうことじゃないから。

自分の声に自分で反論する。


わかってるけど、もう、オタクをやめたくなるほど、さみしいよ。
これから、Juice=Juiceが刻む時間から、ゆかにゃだけじゃない、今いるみんながひとりずつ抜けていくの、そんなの想像しただけでさみしくてたまらなくて、オタクをやめたくなるけど、もうやめられないくらい大好きになってしまったし、日常のそこらにJuice=Juiceを思い出させるものがあるし、どうしようもなくさみしい気持ち。

 

頭の中、聞こえてくるのは自分の声だけ。
自分の声を聞くことに、疲れてしまった。
ほかの人の声を聞きたい。
誰でもいいわけじゃない。
ゆかにゃの話をする、メンバーの声、ゆかにゃのオタクの声、Juice=Juiceのオタクの声が聞きたい。
私以外の、声が聞きたい。

 

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まとまらないけど、言葉にしなければ、発狂してしまいそうだから。

 

発表の翌朝、友人からのLINEで知る。

意外と穏やかな気持ちだった。

どこかでそんな日がくることを感じてはいたけど、その日がくるまでそのことは知らないふりしてよかったので。

 

ゆかにゃ推しのツイッターアイコンがいくつか浮かび、そうかぁ、と思った。

 

友人からは、ゆかにゃが話してる映像だけ送られてきてたので、寝起きで、その映像を途中まで見た。

映像は最後の数十秒見れなかった。

今日は仕事だから、朝の時間がなかったのと、なんか、なんとなく、それ以上、見たくなかった。

 

オタクに懇切丁寧に説明を尽くそうとするゆかにゃが、いつものゆかにゃだった。

あぁ、ゆかにゃだぁ、ゆかにゃ。

わたしたちのゆかにゃ。

 

Juice=Juiceが大好きで、Juice=Juiceの活動を楽しんでいて、Juice=Juiceであることを楽しんでいたように、私の目にはそう見えた、あのゆかにゃが、Juice=Juiceをやめるという。

 

納得はできまい。

 

アイドル=若さというメッセージを暗に発信し続けてるのが、他の誰でもない、アイドルが所属する事務所そのものということ。

その事務所には、ゆかにゃたちと一緒に働いて、ゆかにゃたちの努力や積み上げてきたものや成し遂げたことを、私よりも、オタクよりも、近くで見てきた人たちがいる、ということ。

間近で見てきた人たちが、そういう決定に関わらざるを得ないこと。

徒労感のようなものに襲われた。

 

グループの変化が、人生の大きな選択が、本人たちが積み重ねてきたことや、本人たちの意思以上に、「年齢」というわけのわからないやつによって、決まっていくようで。

 

それは、とても、むかつく。

そんなことあってはならない。

認めたくない。

そんな世界間違ってる。

虚しい。

 

それでも、この事務所から離れられないでいる自分の情けなさと罪悪感。

そういう感情を抱くこと自体が、ゆかにゃたちのこれまでの活動を侮辱してるのではないか、という懸念、不安。

 

そうして、こんな考えは甚だしい妄想だ、と思うと、今度は、あらゆることが虚無でしかなくて、もう、わけがわからなくなる。

 

なにをどうしたら良いか、どんなことを思うのが適切で、どういうことを口にするのが適当なのかわからなくなる。

ちょうどいい塩梅はどこにあるだろうか。

 

 

私は、アイドルとかなんとかを抜きにして、Juice=Juiceが好きだ。

この人たちのライブが好きだ。

ライブに心奪われ、少しずつ、好きを重ねて、好きが濃くなって、今はすごい好き。

好きすぎて、これ以上うまくこの好きを表現できない。

ライブだけじゃなくてね、どんな場面のJuice=Juiceも好き。

でもやっぱりライブが1番好きだから、ずっと見ていたい。

見ていたかった。

 

この人たちが、自身で決断して、葛藤して、相談して、グループの活動を模索したり、やめたり、おやすみしたり、また再結成したり、そういう姿を見てみたかった、と思う。強く強く強く思う。

 

いつまでも、Juice=JuiceがJuice=Juiceとして年齢を重ねてゆく世界に、私を連れて行って欲しい。

年齢に応じた活動を、その年齢でできうる活動を続けていく、Juice=Juiceに、会いたい。

おばさん、おばあちゃんになっても、あのメンバーで、ステージに立つJuice=Juiceに、会いたかった。

必ず会いたい。

 

Juice=Juiceが続いていくこと以上に、Juice=Juiceが年を重ねて行く姿こそ、私が見たかったもの。

私にはそっちの方が大事だった。

 

それは7人になっても、8人になった今も、そう。

8人がひとりずつ卒業を重ねていくJuice=Juiceでなくて、8人みんなで試行錯誤しながら、年を重ねる姿を見たかったのだと思う、私は。

ゆかにゃの卒業の知らせを受けて、そのことに気づいた。

 

Juice=Juiceを、死ぬまで、求め続けると思う。

いつまでも夢に見て、夢に見たまま、死んでいくと思う。

 

忘れようとしても忘れられず、諦めようとしても諦めきれないもの。

 

Juice=Juice。

 

 

来年のクリスマスイベントにゆかにゃはいない。

悲しい。さみしい。

意味わからん。

 

リーダー・宮崎由加、ではない、Juice=Juice、そんなことってありえるの?

 

特に、始まりから一緒のメンバーは、みんないっせいにおなじときに始まって、Juice=Juiceとしておなじ時間を重ねてきて、ゆかにゃがメンバーでないJuice=Juiceなんて、Juice=Juiceが始まってから今日まで、そんなJuice=Juice存在したことがないんだよ。

なのに、5人の中で、ひとりはやく、Juice=Juiceとしての時間を終えてしまうなんて、そんなことってあるの?

ずっといっつもJuice=Juiceの積み重ねてきた時間にはゆかにゃがいたじゃない。

家族のような仲間が増えていって。

これからもそうあるんだとしか思えない。

ゆかにゃのいないJuice=Juiceなんて、本当にそんなことありえるの?

それを、Juice=Juiceと呼んでしまえるの?

Juice=Juiceがこれから積み重ねて行く時間に、今までずっとそこにいたゆかにゃが、欠けてるなんて、そんなの、そんなことってあっていいの?

そんなの、寂しいじゃん。やだよ。

Juice=Juiceが積み重ねていく時間には、ゆかにゃが、いて欲しい。

リーダー・宮崎由加がいて欲しい。

ゆかにゃのいないJuice=Juiceを、私はJuice=Juiceと呼ぶの?

今までなかったじゃない、ゆかにゃがいないJuice=Juiceなんて、そんなの、なかったじゃない。

 

 

今日の帰り道は、曇り空だった。

私の住むところは、日中から夜まで、ずっとぐずついたお天気で、はやく流れる雲の隙間からちらちら覗く、まんまるおつきさまの優しいひかりが、ぼんやりとしたひかりなのに、薄雲の向こうからでもわかる明るいひかりで、そんなおつきさまのひかりが、ゆかにゃの声のようで、おつきさまを見ながら、あたたかく切なくなった。

 

ゆかにゃの映像以外はまだ何にも見れてない。

今は見たくない。

誰の言葉も聞きたくない。

メンバーの言葉さえ、受け止められる自信がない。