しあわせな帰り道

今日は、私の大好きなJuice=Juiceの今年のライブハウスツアー千秋楽なんですが、私も今日が人生の千秋楽かなと思えるほど、今、しあわせに満たされています。

自分にも、こういうしあわせを感じられる瞬間があるなら、これからあと数年は生きてみよう、頑張ろうかなと思えるほどの、大きい、しあわせな数時間でした。

 

私は学生時代、とある国で、というかまぁ韓国なんですけど、ソウルのある街で、約1年過ごしました。

そこで、何人もの日本人留学生に会い、その時の出会いが、帰国から数年経た今でも続いています。

今日は、そのうちの1人が、都内から海を隔てた遠方に引っ越すということで、新大久保に集まったのです。

この集まりの人たちは、おおむね、お酒をよく飲み、からいものをよく食べ、からくないものもよく食べ、おおらかに笑います。勘定もおおらかにおさまります。おつりの小銭を誰かに押し付けて終わります。今日は、この集まりのために、新幹線で東京まで来てくれたツワモノに、アイス代としてみんながおつりを押し付けていました。

私はこの人たちの集まりが好きで、好きで、すごく好きです。

みんなが集まると、私は、なるべく席の端っこに陣取ります。途中参加の人がいれば、席を譲って、なるべく端っこへ。それで、斜めに座って、みんなが楽しそうに笑っているのを見るのが大好きです。

私の大好きな人たちが、楽しそうに笑っている、あぁ、私の大好きな人たちだなぁと思います。なるべく艱難辛苦を免れて、笑っていてほしい人たちです。この人たちが楽しそうに話してるのを見ると、嬉しくなって、嬉しくて、嬉しくて、たまらなくなって、お酒を飲みます。

端っこに座ることが不安にならない集まりは、たぶん、この集まりくらいです。端っこにいても、疎外感がない。会話に混じってない瞬間があっても、楽しそうな人たちを見ていれば、とてもしあわせでいられます。

終わりが惜しい集まりも、この人たちとの集まりだけだと思えます。

 

私は、この人たち、ひとりひとりが大好きだけど、「友だちです!」と、胸を張ってこの人たちのひとりひとりを紹介できないくらいに、臆病で、情けない奴です。

でも、この人たちと集まって飲んでいると、この人たちを「友だち」と呼んでもいいのかもな、友だちと呼びたいな、と思える瞬間があって、何度もあって、こんな自分にも、友だちと呼びたい人たちがいることが、嬉しくなります。

この世に生まれて、この歳まで生きてきて、良かったのかもしれない、と思えます。

こんなに素敵な人たちと出会えた、という事実や、この人たちと積み重ねた過去の思い出が、働きたくないし、はやくいろんなことを終わりにしたい、引きこもっていたいと思ってる、どうしようもない私が、結局、いろんなことを終わりにできず、ずるずると、ここまで来た理由な気がしてきます。

 

それとあともう一つ、それに近い集まりがもうひとつだけあって、ありがたく思ってます。私は人付き合いは得意でないから、なかなか誰か1人と深い付き合いをすることはできないけど、それでも、あぁなんかとてもありがたい人たちと、神様は出会わせてくれたなと思います。

現実にはそういう環境に身を置くことを許し、支援してくれた両親のおかげ、その両親の元に生まれたという運のおかげなのでしょうが。

 

今夜は、みやもとかりんちゃんと、友だちと呼びたい人たちと、両親と、神さまに感謝する、しあわせな帰り道です。